
いつも新聞や多くの本から情報を得ていましたが、インターネットの登場によってニュースの量が膨大になった感覚は誰にでもあることでしょう。
最近ではスマホアプリのグノシーやAntennaやLINEニュースなどを利用する機会も多くなってきているので、その傾向が増々強まってきていることを実感しますね。
問題を解決したり新たな発想を出そうとすると・・・つまりアウトプットを充実させようとするとインプットを増やすのがベストの方法となりますので、さらに多くの情報を取り入れようとするようになります。しかし情報収集量が一定のラインを超えてしまうと苦労と疲れを感じる割合の方が大きくなってしまいがちです。つまり情報が多すぎてインプットしきれない状況に陥ってしまうわけです。
ここで大切になるのが情報の波に溺れないようにすることなのですが・・・今回は、大量の情報を効率よく吸収するためのヒントを歴史上の有名人である二宮金次郎と吉田松陰の情報収集術や読書術から得てみたいと思います。
二宮金次郎の読書方法
二宮金次郎とは、戦前教育の象徴として全国の学校に「焚き木を背負って運びながら読書をする」銅像の建てられていた二宮尊徳の事ですね。幼い頃に両親と死別してからは親戚の家に引き取られたのですが、菜種油の光で夜遅くまで読書をしていたら無駄遣いだと叱られたために・・・自分で畑を耕して育てた菜種から油を採取して読書を続けたという逸話が残っています。薪を背負って作業をしながら読書を続けたという姿と合わせて勤労の象徴となっているのが二宮金次郎です。
そんな二宮金次郎が薪を背負いながら読んでいた本というのは、古代中国の人生指南書である「大学」だったのですね。しかし二宮金次郎は「大学」を何回読んでも理解できない部分があったんだそうです、「大学」の内容は現在の原稿用紙にして2枚分も無いにも関わらずです。
まじめな勤労少年のイメージのある二宮金次郎ですから、理解できない部分でも必至に読み解く努力をしたのかと私は思っていたのですが・・・実際の二宮金次郎は「この本の中で、どれだけ読んでも理解できない部分は、私にとって必要のない内容である。」と言って破り捨ててしまったのだそうです。
「あとで必要になるかもしれないから残しておこう」とか「いつか役立つかもしれないから理解できるまで頑張ろう」などと考えるのは凡人のすることなのかもしれません。二宮金次郎は自分にとって必要な情報を得てしまったら、それ以外は捨ててしまう勇気を持っていたのでしょうね。
松田松陰の読書方法
吉田松陰の名前を知っている人は多いと思いますが、何をした人なのかはあまり有名ではないかもしれません。幕末の思想家である吉田松陰は松下村塾を長州藩内で経営していましたが、いち経営者で収まりきらなかった人物でもあったのです。松下村塾から長州藩を改革しようとしたり、それをきっかけに日本全体を変革していこうと唱えていたのですが・・・現代のグローバリゼーションに通ずる考えを持っていたのですから驚きですよね。
そんな吉田松陰は、「孔子や孟子の偉大さに魅せられて惑わされることがないようにしなければならない。2人の教えの全てを好ましい事だと思ってありがたがる事がないように。」と言っていたのだそうです。
普通であれば、昔の聖人である孔子や孟子の教えは全て学び取らなければならないと思って頑張るものですが・・・吉田松陰も二宮金次郎と同じように情報を捨てる勇気を持っていたと言えるでしょう。
情報収集のコツは捨てること!
インターネットが発達したり、大量の本が手軽に手に入るようになって情報量が急増した現代だから「捨てる・諦める」というコツが大切になるのだ・・・と考えてしまいがちですが、二宮金次郎や吉田松陰らが暮らしていた江戸時代にあっても情報収集のコツは捨てることにあったことが良く理解できますよね。
いつの時代であっても情報収集が大切なわけではなくて、自分が必要としていない情報を捨てる勇気が大切なのだと思います。
例えるならば、せっかく買ったのに読まないで積みっぱなしにしてある書籍などは、実は・・・あなたにとっては必要のない内容であるので処分してしまうのがベストなのだという事になるのです。
さらに、買った本であっても隅から隅まで読むのも非効率的だということになります。目次をザザザっと眺めて必要な項目の部分だけを読めば良いだけなのですね。
有名人が書いた本だから読むだとか、売り上げランキングの上位の本だからといって購入するのも無駄な本となる可能性が高いでしょう。
今回、二宮金次郎と吉田松陰の行動や考えを知って自分の情報収集の方法を見なおしてみると・・・
究極の情報収集術や読書術とは、自分の人生や生活を見直して・・・自分や家族にとって、「今」必要な事が書いてある内容の本を集中的に読むことであると私は考えるようになりました!
「今でしょ!」というのは2013年の流行語ですが、「今」に集中することがとても大切である事は古今東西の共通事項なのかもしれません。